私の脳腫瘍がわかったのは、美術系の学校で卒業制作をしていた22歳の冬でした。
当時は地元を離れて一人暮らしをしていました。
午前中に頭痛と吐き気があるものの昼を過ぎると治まる状態が続いて様子を見ていましたが、やがて体調不良で制作にも影響が出始め、気づいた頃には頭の中で心臓が脈動しているような耐え難い頭痛で涙が出たり気が遠のく感覚が表われました。安心材料を得るつもりで念のために町の脳神経外科を受診したところ、脳腫瘍の第四脳室上衣腫であろうということがわかり近くの大学病院に即日入院をする運びとなりました。
私の脳は脳圧が高まって水頭症を起こしていました。歩行しているのが不思議な状態だったようで、入院して安心したのか一気に容体が悪くなりました。ベッドに自分の身体が沈み込んで吸い込まれていくような感覚でした。脳圧を下げるための処置をしたもののあまり症状は改善されず、家族がかけつけた頃にはかなり衰弱した状態でした。
私は、やりたいことをやるために地元を離れ、制作や部活動に明け暮れてあまり親に連絡をしていませんでしたので、家族に与えた急激な心身のダメージは計り知れません。
受け入れがたい深刻な合併症のリスクに私に代わって両親が同意し、準緊急手術が行われました。
複視や眼振、しゃっくりが止まらないなどの手術合併症はありましたが、命拾いしました。
しかし腫瘍は危険な場所にわずかに残っていました。
ここから上衣腫との長い付き合いの人生が始まりました。
気づけばあれから10余年経ち今も私は生きています。取り巻く状況は本当に様々な変化がありましたが、まだ脳腫瘍は完治に至っていません。
手術や放射線による度重なる治療歴の中には、嚥下障害や体幹失調がとても強く出て回復するかどうかわからなかったこともありました。希望を持てなくなったことや、怖いと思うこともありました。闘病はもちろんのこと、病や後遺症を抱えながら健全な精神で人や社会と関わることについては難しさを感じることもありました。私に関わりを持ってくださった多くの人々からの助けに心から感謝をして前向きに活動していることもあれば、再発がわかったりなどで、あらゆることに疲弊して投げやりな気持ちになってしまうこともあります。
しかし、少し冷静になると、いろいろな感情に接する度に「生きていること」を実感します。
そして延ばしていただいた時間の中に、純粋に心から笑っている自分や、何かに単純に喜び感動している自分もまだ確かにあると気づきます。生きていても叶わなかったこともありますが、生きたから叶ったことや、経験や出会いがたくさんありました。
これからもささやかながら自分に関わってくれる人たちや出来事、思いを大切にして、私らしくいられる限り私らしく今日一日を生きていけたらといいなと思います。
(友美さん、患者本人)
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