「寝ても寝ても、疲れが取れない。いつも眠い。」
そう言い始めたのが、最初の症状でした。30代働き盛りのサラリーマンで、いつも残業ばかりだった夫の訴えを、あまり真剣にはとらえていませんでした。
その後、目の不調、覇気のなさ、物忘れなどの症状が出てくるようになって、やっと病院を受診し、びまん性正中グリオーマと診断されました。
まさか夫が脳腫瘍になるとは想像もしていなかったし、自分ががん患者の妻になることなど考えてもみなかった中での診断に、信じられない気持ちでいっぱいでした。食べ物が喉を通らないという状態を、初めて経験した時期でもありました。何かの間違えだろう、あっさり簡単に治って笑い話になるのだろう、そう思い込もうとしていました。
でも、そんな気持ちが置いていかれるかのように、次から次へと検査や治療が進んでいきました。
怒涛の日々が続く中で、事実と向き合って、少しずつ進むことができるようになったのは、医療従事者の方々がいつも明るく前向きな姿勢で接してくれたことが大きいと思っています。
治療開始前に受けたセカンドオピニオンで「今は始まったばかり。これからできることは、まだ、たくさんある」と言われました。脳腫瘍と診断されたことで全てが終わってしまったような気持ちになっていましたが、治療の始まりがまず第一歩で、ここがスタートなんだと気付かされました。そして、この先生達と一緒にがんばっていきたいと考えられるようになりました。
夫との時間、子ども達にとっては父親との時間が限られているのならば、それを少しでも良いものにすることが、私の目標になりました。
老後になったら夫婦2人でやろうと考えていたことを、数十年前倒しして家族みんなでやったり。今度食べたいと思っていたものを、その日のうちに食べに行くことにしたり。側からみたら生き急いでいるように見えたかもしれませんが、1つでも後悔を残したくないという思いでいっぱいでした。
治療を続けながら、車椅子を押して、スポーツ観戦をしたり、美術館にいったり、家族旅行にも行きました。「ぜひ行ってきて!」「楽しんできてくださいね〜!」と看護師さん達が後押ししてくれたことも、砂浜での車椅子の操作に格闘したことも、最後の家族写真が撮れたことも、とても良い思い出です。
嚥下障害が出てきてからは、「普通のご飯が食べたい」という夫の思いを叶えるために、試行錯誤の日々を過ごしていた時期もありました。栄養摂取について医療者の方と相談をしながら、一体どうするのが良いことなのか悩んでいました。でも、大好きだった豚カツやお寿司をぎりぎりまで食べていられたことは、夫にとっても、私にとっても、よかったと思っています。
少しずつ症状が進んでいく様子を横で見ていることは辛いことでしたが、私が私自身でいられる場所を持っていられたことで精神的に支えられていました。
夫の診断直後に、夫婦共々仕事はやめない方がいいとのアドバイスを受けていました。残念ながら夫は仕事への復帰はできませんでしたが、私は職場の理解を得ながらずっと仕事を続けていました。両立が大変な時期もありましたが、夫の病気や家のことから離れて、自分自身として社会と接していられる場所を保っていられたことは、大きな支えになりました。
夫の闘病は終わってしまいましたが、私のやってきたことが間違っていたのではないかと、もっとできることがあったのではないかと、多くの悔いが残っています。何かやり残したことがあるような気がして、脳腫瘍ネットワークの運営に携わるようになりました。
頑張っていらっしゃる患者さんやご家族の方々に、我が家が経験してきたことを役立ててもらえたらと思っています。
(野村恵子、理事)
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